ギコノマド

教育系ICT関連情報やグルメ情報など、雑多な内容を書いてます。Apple製品愛好家だけどもThinkPadも好き。

生け花とは?

yukisama例年11月は非常に忙しいものなのですが、今年はそれにもまして忙しい日々が続いています。

さて、先週はなかなかハードでした。木曜日と金曜日はお寺の団体旅行の引率のために貸し切りバスで京都に行きまして、金曜日に皆さんと鳥取に帰って来ました。

そして翌日の土曜日の午前5時半に自分の車で京都に向かい、8時半に京都に到着です。鳥取に帰った12時間後には京都に到着していました。さすがにちょっとハイになっていましたね。9時からは池坊の青年部大作制作に参加していました。

池坊の大作制作は、池坊青年部発足15周年を記念して京都の青年部が企画したものでした。「池坊もったいないプロジェクト」と題して普段捨てられる割り箸や小枝などを使い作品を制作し、制作後には再生紙の材料や堆肥の材料としてリサイクルする。というものです。

 

そもそも我々は普段お花を生けますが、なぜお花を生けるのでしょうか?

日本の生け花は、仏様にお花をお供えする「供華」から始まったと言われています。しかしながら人類が花を愛した歴史は非常に古いです。動物にとってエサとなるもの以外は花は興味の対象外ですが、人類は遙か6万年前から花を愛していたという記録があるそうです。6万年前にネアンデルタール人が死者の墓に花を手向けた痕跡が残っているそうです。

庭に花を栽培した最古の記録は古代エジプトに青睡蓮を栽培したものだそうですが、日本にも万葉集大伴家持が「夏野のさゆり(小百合)引き植ゑて」と詠んでいます。源氏物語でも女性の美しさを表現するものとして、花の名前が女性に付けられています。

それほど古くから花は多くの人々に愛で愛されてきたのでしょう。

そして「供華」が発展して生け花が生まれました。そこで問題です。仏様にお花をお供えする際には、花の正面は、仏様と我々のどちらに向けるのが正しいでしょうか?

この問題は以前、ある女性占い師がテレビで全く逆のことを言っていたらしいですが、正解は我々の方に向けます。

これは、なぜ花を生けるのかを考えなければなりません。

そもそもなぜお花を生けるのか?それは仏様が我々に浄土の世界の姿を我々に教えてくださるためでもあります。「仏説阿弥陀経」に「極楽浄土は常に花が咲き乱れていて・・・」その姿を我々に見せてくださるのがお花を生ける目的でもあります。

そして、なぜ「生」の花でなければならないのか?それはもう一つの理由にあります。

仏様が我々に「命」の姿を見せてくださっているからです。花もまた生きています。生きていますから咲き、散っていきます。そこに我々は命の姿を見ます。我々もまた同じように生きている。いずれは死んでいく。それを仏様は花を通して教えてくださっています。

 

話がちょっとずれましたが、池坊のもったいないプロジェクトはその命を全うさせ、また形を変えて生かしていく。非常に意味のあるプロジェクトだと思います。

お花を生ける我々だからこそ、この気持ちを大切にしていきたいと思います。